江戸三大祭り『三社祭』江戸風情!勇壮且つ華やかな神輿渡御!東京の初夏を代表する風物詩

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三社祭

浅草神社の祭礼、三社祭は江戸随一の荒祭りとして浅草人の血を湧かせその賑わいは江戸三大祭りの一つにも数えられる『三社祭』です。

令和4年5月20~22日に行われる東京・浅草の「三社祭」で、3年ぶりに氏子らが 神輿みこし を担ぐことが決まりました。

浅草神社(台東区)によると、最終日に境内から本社神輿を担ぎ出す「宮出し」と、境内に戻す「宮入り」で、氏子らが3基の神輿を担ぎます。宮出しの後に町内を巡る際は神輿を台車に載せるほか、町会の神輿約100基が練り歩く「町内神輿連合 渡御とぎょ 」は今年も実施を見送る予定です。

下町の情緒に担ぎ手の熱気が溶け込み、祭りの雰囲気が盛り上がる点では江戸の華として全国に喧伝して恥じないものです。

浅草神社の氏子四十四ヶ町を中心に例年は五月の第三金・土・日曜日に行われ、江戸風情を残しつつ勇壮且つ華やかな神輿渡御を主として、3日間に亘り約180万人の人出を数える日本を代表する祭礼の一つです。

江戸風情の残る下町浅草が1年でもっとも活気付くと云われ、東京の初夏を代表する風物詩の一つになっています。

各町から神輿や囃子屋台が出され、芸妓連などが華々しく練り歩く。中でも約100基の町神輿が勢揃いする様子は壮観です。

初日は、お囃子屋台をはじめ鳶頭木遣りや浅草の各舞、また芸妓連の手古舞や組踊り等で編成された「大行列」が浅草の町に祭礼の始まりを告げ、東京都無形文化財指定の「神事びんざさら舞」も奉納されます

初日は、お囃子屋台をはじめ鳶頭木遣りや浅草の各舞、また芸妓連の手古舞や組踊り等で編成された「大行列」が浅草の町に祭礼の始まりを告げ、東京都無形文化財指定の「神事びんざさら舞」も奉納されます。
二日目には、「例大祭式典」が斎行され、その後に「町内神輿連合渡御」によって浅草氏子四十四ヶ町の町内神輿約百基が神社境内に参集し、一基ずつお祓いを受けて各町会を渡御します。
最終日は、宮神輿三基「一之宮」「二之宮」「三之宮」の各町渡御として、早朝には神社境内から担ぎ出される「宮出し」が行われ、日中は氏子各町を三方面に分かれ渡御し、日没後に神社境内へ戻る「宮入り」を迎えて祭礼行事が終わります。
期間中は浅草の街がお祭り一色に彩られ、神社では各神事が斎行されると共に、境内や神楽殿においても様々な舞踊が披露されます。

三社祭の神輿

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『神事びんざさら舞』三社祭で踊られる田楽舞

浅草神社の神事として三社祭で踊られる田楽舞であり、現在は東京都無形民俗文化財に指定されています。
田植え行事が芸能化されたものであり、紅白の紙を散らし籾撒きに見立て、楽器である編木(ささら)で音を奏でる事により五穀豊穣や悪霊退散の願いが込められると共に、そこに獅子舞が合わされて子孫長久や悪病祓いも祈願されます。

 

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リアルジャパンオン(@realjapan_on )さんが主催の神田祭・下谷祭・三社祭フォトコンテストに応募してたのですが、2点の写真がそれぞれ以下の賞を頂きました。 ・1枚目…浅草中屋賞 ・2枚目…宮本卯之助商店賞 2点も選んで頂けるとは思いませんでした。ありがとうございました☺️ #神輿 #神輿渡御 #神社 #神社仏閣 #神田明神 #浅草神社 #神田祭 #三社祭 #祭 #祭り #東京カメラ部 #お祭り写真部 #写真好きな人と繋がりたい #ファインダー越しの私の世界 #フォトコンテスト #ポートレート #japaneseculture #japanesefestival #japan_of_insta #japan_daytime_view #jp_gallery #ig_japan #tokyocameraclub #lovers_nippon #lovejapan #lovers_nippon_portrait #matsuri #mikoshi #kandamatsuri #sanjyamatsuri

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三社祭の神輿

三社祭の神輿

神輿は祭礼にあたり、神幸祭に際して、ご神体あるいは御霊代がお乗りになる輿の事をいいます。

神幸とは、ご神体が御旅所(神幸の中継地、および目的地となるところ)に渡御することをいいます。このとき、氏子達が担いで各地区を練り歩きますが、こうすることで神様に各地区をご覧頂くのです。

神幸の途中、神輿を上下左右に振り動かしたり、わざと荒々しく揺さぶることで、神輿に坐す神様の「魂振り(たまふり)」を行い、これにより神様の霊威を高め、豊作や豊漁、疫病の退散がなると信仰されているのです。

浅草神社には3基のお神輿があり、祭礼の際は、一之宮には土師真中知命、二之宮には桧前浜成命、三之宮には桧前竹成命の御神霊をそれぞれお移しし、町中を渡御します。

宮神輿

戦前は家光公より寄進された神輿三基とその保存の為に新調した三基、更には氏子町会より寄贈された一基(四之宮)と合わせて七基の神輿がありましたが、先の大空襲により惜しくも全て焼失してしまいました。

現在の神輿は、一之宮・二之宮が昭和二十五年に、三之宮が昭和二十八年に氏子により奉納されたもので、胴が細く屋根四隅の蕨手が大きい近代的な造りとなっており、一之宮の頭には鳳凰が、他二基には擬宝珠が飾られています。

四之宮

元々は町神輿として田町で作られたお神輿でした。しかしあまりに重かったため、町会で担ぐ人がいなくなり、浅草神社へ奉納されました。祭礼の際は、東照宮の御神霊をお移しし、四之宮として担がれるようになりました。

重いといっても他の三基の宮神輿に比べると軽く、動きやすかったため、担ぎ手がわざと乱暴に担ぐ事もあったため、『暴れ神輿』の異名をとっていたそうです。

各町から神輿や囃子屋台が出され、芸妓連などが華々しく練り歩く。中でも約100基の町神輿が勢揃いする様子は壮観です。

昔の祭礼(観音祭・船祭)

昔の祭りは3月17日、18日の両日に行われ、丑、卯、巳、未、酉、亥の1年おきに本祭が行われました。

正和元年(1312)から三社の神話に基づき船祭が始められたと云われています。

江戸時代には大祭前夜、神輿を観音本堂の外陣に安置されました。びんざさら舞も堂前の舞台で行われていました。そのことからもわかる通り、当時は浅草寺と一体となった祭りで、「観音祭」又は「浅草祭」と呼ばれました。
昔の氏子は観音の縁日にちなみ十八ヶ町あり、南から諏訪町、駒形町、三間町、西仲町、田原町、東仲町、並木町、茶屋町、材木町、花川戸町、山之宿町、聖天町、浅草町、聖天横町、金竜山下瓦町、南馬道町、新町、北馬道町、田町がそれでした。このうち材木、花川戸、聖天を宮元三ヶ町と呼び、すべてを総称して浅草郷とも千束郷とも云いました。

祭礼は今のように本社神輿をかつぎ廻ることよりも、むしろ氏子十八ヶ町や、片町、茅町、天王町、黒船町、三好町などから繰り出された山車が中心で、各町がおのおのの趣向で行列の勢いと絢爛さを競い合ったようです。この様に昔の祭礼は蔵前筋や浅草橋の各町にまで及ぶ広範囲のものでした。

祭礼当日の早朝、山車を中心とする祭礼行列は浅草見附の御門外に集合しました。

御蔵前から諏訪町、並木町と並んで仲見世から境内に入り、観音堂に安置された神輿の前に参詣の上、おのおのの芸能を演じ、随身門(二天門)を出て自分の町へ帰りました。これが終わると「お堂下げ」と云って神輿三体を本堂からおろし、一之宮を先頭に浅草御門の乗船場まで担ぎます。待機していた大森在住の漁師の供奉する船に神輿をのせ、浅草川(隅田川)を漕ぎあがって駒形から上陸し、浅草神社にかつぎ帰ったと云われています。この船祭は江戸末期まで続きました。明治に入って廃絶し、明治五年から5月17日、18日の両日に祭礼を行い、現在の氏子各町に神輿の渡御を行うようになりました。

昔の祭礼(観音祭・船祭)

三社祭 日程

前日

本社神輿へ浅草神社の御神霊(おみたま)をお移しする儀式、本社神輿神霊入れの儀(ほんしゃみこしみたまいれのぎ)が執り行われます。

1日目

初日は、お囃子屋台をはじめ鳶頭木遣りや浅草の各舞、また芸妓連の手古舞や組踊り等で編成された「大行列」が浅草の町に祭礼の始まりを告げ、東京都無形文化財指定の「神事びんざさら舞」も奉納されます。

2日目

二日目には、「例大祭式典」が斎行され、その後に「町内神輿連合渡御」によって浅草氏子四十四ヶ町の町内神輿約百基が神社境内に参集し、一基ずつお祓いを受けて各町会を渡御します。

3日目

最終日は、宮神輿三基「一之宮」「二之宮」「三之宮」の各町渡御として、早朝には神社境内から担ぎ出される「宮出し」が行われ、日中は氏子各町を三方面に分かれ渡御し、日没後に神社境内へ戻る「宮入り」を迎えて祭礼行事が終わります。

期間中は浅草の街がお祭り一色に彩られ、神社では各神事が斎行されると共に、境内や神楽殿においても様々な舞踊が披露されます。

浅草神社について推古天皇の御代三十六年(六二八)三月十八日の春麗らかなる朝、漁師の檜前浜成・武成の兄弟が、浅草浦(現隅田川)で漁労に精を出していたところ、その日に限り一匹の魚も獲れず、投網に掛かるのはただ人形の尊像だけでした。しかしそれが観音像とは知らずに、幾度か海中に投げ入れ何度場所を変えても同じ事の繰り返しです。流石に兄弟は不思議に思い、その尊像を捧持して今の駒形から上陸し槐の木の切株に安置しました。そして当時郷土の文化人であった土師真中知にその日の出来事を語り一見を請うたところ、同氏は「これぞ聖観世音菩薩の仏像にして現世御利益仏たり、自らも帰依の念深き仏体である」と告げられました。

兄弟はその功徳を知りなんとなく信心をもようされ、深く観音を念じ名号を唱え、「吾ら漁師なれば漁労無くしてはその日の生活も困る者故、明日は宜しく大量得さしめ給へ」と厚く祈念して、翌十九日に再び浦々に網を打ったところ、船中は願いの如く溢れんばかりの魚に満ち足りました。

土師氏は間もなく剃髪して沙門(僧侶)となり自宅を新たに寺と構え、先の観音像を奉安し供養護持の傍らに郷民の教化に生涯を捧げられました。

これが『浅草寺縁起』に見られる観音御示現に伴う浅草寺の起源であり、その御利益を求めて時の将軍や武家をはじめ庶民に至るまで多くの参詣者を得て、寒村であった郷土は興隆・発展の一途を辿ります。

後世となり土師氏の子孫が聖観世音菩薩の夢告を蒙り、「汝等の親は我を海中より薫護せり。故に慈悲を万民に施し今日に及びしが、その感得供養の功績は称すべきなり。即ち観音堂の傍らに神として親達を鎮守し、名付けて三社権現と称し齋祀らば、その子孫・土地共に永劫に繁栄せしむべし。」との託宣があり、前述三氏の末孫が崇祖の余り三人を郷土神として祀る三社権現社が茲に創建されました。

正確な創建年代は不明ですが、その起源と経緯や各時代の縁起等に記される伝承を鑑みて、仏教普及の一つの方便である「仏が本であり、神は仏が権りに姿を現じた」とする権現思想が流行り始めた平安末期から鎌倉初期以降と推察されます。

奇しくも明治政府より発せられた神仏分離令により、明治元年に社名を三社明神社と改めて、同五年には社格が郷社に列せられ、翌六年に浅草郷の総鎮守として現在の浅草神社に定められました。今でも氏子の方々にはその名残から「三社様」と親しまれています。

 

名称三社祭(さんじゃまつり)
所在地〒111 – 0032 東京都台東区浅草2-3-1
開催期間令和4年浅草神社例大祭「三社祭」行事日程
5月20日(金)・5月21日(土)・5月22日(日)
※今後変更する可能性があります。
開催場所東京都 浅草神社
交通アクセス地下鉄都営浅草線・地下鉄銀座線・東武伊勢崎線「浅草駅」から徒歩7分
主催浅草神社奉賛会
料金観覧無料
問合せ先浅草神社 03-3844-1575
ホームページhttps://www.asakusajinja.jp/sanjamatsuri/
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出典:三社祭 | 浅草神社 三社様

 

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